
当時はイギリスに住んでおり、貧乏旅行一人旅でヨーロッパを電車で周ったりしていたが、貧乏な筆者には十分な資金がなく、いつも田舎町に滞在して食べたい物も食べれず、友人宅を周り世話になる、我慢の多い貧乏旅行であった。
その点、アフリカ・モロッコは、イギリスから飛行機で2時間、5000円程の格安航空券で行ける、スペインからであれば船でも行ける、友人の間でも評判の、貧乏旅行でも面白い国だったのである。
憧れのヨーロッパは貧乏旅行でも刺激的であったが、余裕が出来てからもう一度行きたいと、アフリカ貧乏旅行の経験から思うようになった。
貧乏旅行も程々にしておいたほうが楽しい。
貧乏旅行は我慢大会ではない。
通常であれば行く前に、地球の歩き方やネットなどを観て、色々調べていくのが普通であるが、モロッコ帰りの友人の話を一通り聞いた私は、行く都市だけを決め、チケットをとり、飛行機にのっってしまったのである。
モロッコには多くの魅力的な街があるが、貧乏旅行は移動を最小限にという鉄則から、首都であるラバトやあの有名なカサブランカは入れず、マラケシュ、メルズーガ、シェフシャウエンと、友人の話の中で、面白そうだった3つの街に絞っていた。
面白いことに、町によって色分けされているという。
マラケシュは町全体が赤。
メルズーガは砂漠だけに茶色
シェフシャウエンはブルー
とそれぞれ色が違う。その近辺の岩から作る色なので天然の色分けだと聞いた。
最初の目的地は赤く燃える街、マラケシュ。
旅人が一番多いと聞き、情報をとりやすいと考え、近代的な町ではなく旧市街であるメデイナ目的で選んだ街。
たいした情報もなく、地図もガイドブックも持たずにたどり着いたマラケシュ空港から見たアフリカの空はとても青く、空気は乾燥していたが、9月下旬でも日差しは強く、正にベストシーズンに来たといった印象だった。
空港では英語を話せる人はおらず、観光客同士が情報交換していた。
とにかく人の集まるところに行く。
フランスの植民地であったモロッコはフランス語が通じる為、フランス人観光客が多く、フランス人に聞けば質の良い情報が簡単に手に入った。
モロッコ人に聞くのは危険である。というより無謀である。
基本的に何でも有料で、向こうの都合のいい情報しか入らないと思ったほうが良い。
観光で成り立っている発展途上国で、金払いがよく、はっきり断るのが下手な日本人はアメリカ人観光客をしのぐ上客なのだ。

昼のフナ広場 実際はもっと活気に溢れている いい写真が無く申し訳ない
バスに乗りフナ広場に着くと、活気のある、広場自体が燃えているようなパワーで溢れており、まとわりついて来る自称ガイドの中には日本語がペラペラなヤツもいた。ちなみに、こんなヤツが一番怪しい。
たいていの客引きは
トモダチ!
トーキョー?オーサカ?
などと知っている日本語を全部並べ、腕をつかみ、商品を見せてくる。
誰が教えたのか、中には
ミヤ〜サコ〜デスッ!
なんてのもいた。。
最初はその力強さが面白くて、要らないとかなんとか笑いながら話してたけど、やつらのガッツはすさまじく、笑ったりすると本当にしつこくなるので、そのうちいちいち反応しなくなる。
まずは名物料理で腹ごしらえと、カフェで甘いハーブティーを飲み、初めてのタジンを食べていると、以外に旨いモロッコ料理に気分も上々、食事をしている間ズーっと横に立ち、目を見ながら手を出し続ける物乞いに少しのコインをあげ、もう帰れとうながす。
こういったやり取りは不思議とすぐに慣れるものである。
フナ広場脇には情報どうり、沢山の安宿が並び、何件かは満室で断られるも、一泊500円程度で十分な部屋を見つけれた・・。

赤い町並みが特徴のマラケシュのメディナ 安宿街
とにかく早く重いバックパックを置き、シャワーを浴びてあの活気ある広場に戻りたかったが、重いバックパックを担ぎ、歩き回った疲れは大きく、ちょっと休もうと横になったが最後、この後とんでもない事になるとも知らず寝てしまった、モロッコ初日のマラケシュの夜であった。
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